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拡散希望
シグマ会/建築科・建築デザイン科出身の皆様へ
来年はシグマ会創設65周年にあたり、
また建築科設立70周年記念として、
建築科・建築デザイン科卒業生一同による
大同窓会を実施することを決定致しました。
日 時:平成26年10月19日(日)
13:00~16:00
場 所:新大阪ワシントンホテルプラザ
ダイヤモンドホール
参加者:大阪市立工芸高等学校建築科並びに
建築デザイン科卒業生全てを対象
招待者:大阪市立工芸高等学校建築科・
建築デザイン科職員並び旧職員及び
建築科・建築デザイン科の担任を受け持った
普通科の職員並び旧職員全てを対象
詳細は今後お知らせいたしますが、より多くの方に
ご出席を御願いしたいので、まずは先生方の出席を来年早々
確定し、皆様にお知らせします。その後皆様へ通知いたします。
久しぶりに先生に会いたい、あるいは先輩・後輩に会いたいと
思いを募らせて頂き、皆様の同期や日頃付き合いのある
先輩・後輩の一人でも多くの方へ広めて下さい。
拡散を御願い致します。
追伸:担任じゃなかったけど○○先生呼んで等の
リクエストがあればお知らせ下さい。
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平成25年度 事業委員会会 議事録抜粋
平成25年10月23日 工芸会室 18:30~19:40
出席者;東野忠雄 会長(S37年卒)、糟谷修 副会長(S40年卒)、
稲本正吾 会計(S47年卒)、濱田義之 書記(S53年卒)、
片岡郎(S63年卒)、小林貴世子(H4年卒)、中田雄介(H18年卒)
1.シグマ賞について
審査委員の選出について、従来のゴールド受賞と加えて賞の無かった時期の若手から
選出する。役員等から推薦された審査委員を次回までに名簿として作成する。
審査方針等従来通りとするが、賞については従来の賞はそのままであるが、個人賞(佳
作等呼び名は検討)として、今後各学年5名とし、別に工芸会会長賞を設ける。
以上の方針で、次回11月27日の役員会までに、片岡委員長がまとめる事とする。
2.来年度総会
来年度総会は平成26年 5月11日(日)に行う事に決定する。
詳細は追って通知する。
3.来年度事業について
シグマ会創設65周年記念事業として、また建築科設立70周年記念として、建築科 ・建築デザイン科卒業生一同による大同窓会を実施することに決定する。
日 時:平成26年10月19日(日)13:00~16:00
場 所:新大阪ワシントンホテルプラザ ダイヤモンドホール
参加者:大阪市立工芸高等学校建築科並びに建築デザイン科卒業生全てを対象
招待者:大阪市立工芸高等学校建築科・建築デザイン科職員並び旧職員及び建築科・
建築デザイン科の担任を受け持った普通科の職員並び旧職員全てを対象
その他詳細は、濱田義之を委員長として委員に稲本正吾・片岡朗を選出し事業委員会
で検討していく。
上記事業にあわせて、臨時会報を発行する。委員長は出雄建築デザイン科長に御願い
し、委員として小林貴世子を選出し事業委員会で検討していく。
また、本事業の会計は上杉正人を選出し、補佐として稲本正吾が兼務する。
4.来年度交流会について
来年度交流会は、平成27年3月頃に行うこととし、小林貴世子事業委員長に計画を
今後立案して頂く。
以上
記念講演会の講師を務められた先輩方々おっしゃった事に
工芸は自由だった まさに学園であったと。
思い出せば私が入学した昭和50年は所謂私服組であった。
昭和47年から服装が自由になったのである。
昭和52年の新入生から現在の制服となる。
だから私が3年生の時は、2,3年生は私服で
1年生のみ制服という状態でありました。
講師の先輩達の時分はもちろん制服であるが、
秩序ある自由だったのであろう。
私服となりその秩序ある自由が、秩序なき自由に変化して行くのが早すぎたのだろう。
たった5年程しか私服が続かなかったのだから、
しかもその変化の中に自分たちがいたのである。
仁野先輩が語っていたパチンコ屋やたばこの話しは
我々の時にもあったの思い出す。
この前に投稿した写真に写っている秋山先生が
自転車に乗って昭和町のあたりや(パチンコ屋)まで生徒を捜しに来ていた事を思い出す。
その当時は出入り自由だったからね。
朝は高校生でも喫茶店によってから登校するし、
だいたいグループ毎に行き付けの喫茶店が決まっていた。
昼ご飯も外に食べにいてた時代だった。
たばこも先生がいきなりポケットに手をつ込んできて
たばこを取っていったものだった。
もちろおとがめはなかったが、それがやがて
停学に外出禁止となる。
今はないけど校門の中に小屋があって
先生2人が生徒の出入りをチェックする。
自由が無くなってきた
いや、自分たちで自由を失う行為を行ってきたのである。
しかし、ほんとうの自由は失っていない
少なくともわたしは思う
見た目の制御はあるが、心まで制御されたわけじゃない。
学校の外には出られなくなったが、中では結構自由にやらして頂いた。
そんな中で一度、集団で遅刻したことがあり
間の悪い事に、一時間目体育の時間をさぼったのですが、
担当は森川先生そして遅刻した時に門番をしていたのが森川先生
メチャクチャ怒られ、担任を呼べと言われ
秋山先生が来て森川先生以上にメチャクチャ怒り出す。
でもこの時、秋山先生はなぜ私達が遅刻したか理由は知っておられたのですが、
知らないふりして怒ってました。
秋山先生には卒業式にも迷惑をおかけしました。
卒業式の時に行う答辞の原稿です。
事前にチェックされるのですが、
わたくしは書いて有ることと違うことをしゃべってしまい
最後に原稿を校長先生に渡すときに
校長と握手したのですが、なかなか手を離してくれなかった
案の定、秋山先生が批判されたようで、
今でも正月には秋山先生宅へお酒持って行ってます。
が、毎回夜遅くまで、時には朝までおじゃまして
いまだに迷惑かけてますね<(_ _)>
S53卒.濱田
S53卒.濱田
10月19日土曜日に創立記念祝賀会が行われました。
その前に行われた記念式典には御大の山田修先生(’63.4~’89.3在職)
が来られ著作50冊目のご本を頂きました。
祝賀会では、植澤昌夫(昭和32年建築科卒) 前大阪工芸会会長の挨拶
建築科OB・OGの方25名参加されました。
稲本正吾(昭和47年卒)先生と昭和50年卒組みの歓談です。
旧職員では和田康由先生(’73.4~’98.3在職)
秋山謹三先生(’74.4~’87.3在職) 後に17代校長になられました。
写真右から3人目です。
その前に行われた記念式典には御大の山田修先生(’63.4~’89.3在職)
が来られ著作50冊目のご本を頂きました。
祝賀会では、植澤昌夫(昭和32年建築科卒) 前大阪工芸会会長の挨拶
建築科OB・OGの方25名参加されました。
稲本正吾(昭和47年卒)先生と昭和50年卒組みの歓談です。
旧職員では和田康由先生(’73.4~’98.3在職)
秋山謹三先生(’74.4~’87.3在職) 後に17代校長になられました。
写真右から3人目です。
何年前だったか忘れてしまいましたが、
工芸展におけるシグマ賞審査委員との記念写真です。
この時の建築デザイン科の職員室の打ち合わせテーブルは広かったな。
今はこの半分よりもちょっと小さいのでは
工芸展におけるシグマ賞審査委員との記念写真です。
この時の建築デザイン科の職員室の打ち合わせテーブルは広かったな。
今はこの半分よりもちょっと小さいのでは