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P1010405.JPG
大阪城公園の梅林はこれからが梅の見頃
今年はすこし遅咲きのようです。
梅林の帰りにこの堀で思い出す。
今は水が満ちた堀ですが、私が高校生のころは、水はなくグランドになっていた。
当時はラグビーのグランドが二面あり、端で野球が出来るぐらいだったかな。
市立大会なんかはここでやった記憶があります。
いつだったか、築城400年記念かで整備されたのかな、
でも今でもかわらないのは、この堀に面して中央にある。
パーゴラ付きのベンチ辺りは当時のままです。

記者 濱田 義之
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本校のOBは参加しておりませんが、友人が若干参加しておりますので、
お知らせいたします。
もうすぐ締めきりです。今は余裕が御座います。申し込みはお早めに<(_ _)>
「1.17/3.11明日への建築展・シンポジウム」
① 明日への建築ミーティング~震災復興と地球環境~
1.17/3.11私たちが生きる再生の時代は、一方で地球環境保全の時代とも言える。新しい時代を生きていく私たちは都市の文化とどのように向き合っていけばよいのだろうか。国際的なゲストによる基調講演、その内容を受け、出展作家によるディスカッションを開催。
第1部
...
基調講演1|フランチェスコ・ダルコ[建築史家・『カザベラ』編集長]
基調講演2|松井三郎[地球環境工学・京都大学名誉教授]

第2部

ディスカッション1|梅林克、長坂大、宮本佳明、永田宏和
ディスカッション2|河井 明、長田直之、芦澤竜一、家成俊勝

大阪国際会議場(グランキューブ大阪)3FイベントホールA
http://www.gco.co.jp/ja/riyo/access.html
2012年3月3日(土)13時から17時(12時開場)
入場無料 定員500名
申し込み①↓↓↓
http://tomorrow-archi.jp/symposium-1.php

②3.11から明日の都市へ~東日本大震災追悼の集い~
東日本大震災からちょうど1周年となる日に、被害を受け犠牲となった方々への追悼を行うとともに、基調講演、出展作家によるディスカッションを通して明日の建築・都市の可能性について語り合う。阪神・淡路大震災で活動したNY在住ピアニストによる特別演奏も予定。
第1部

追悼演劇公演|「失われた街ギャラリー・リーディング<気仙沼-鹿折/大沢>」
(復元模型と住民の証言による朗読劇)

演出:高尾隆[演出家・東京学芸大学准教授]出演:古賀彰吾、保倉りえ、高尾隆即興演奏:Kevin McHugh制作:砂川史織企画協力:高宮知数企画:槻橋修+失われた街模型復元プロジェクト実行委員会模型制作:神戸大学槻橋研究室、横浜市立大学鈴木研究室、武庫川女子大学有志協力:座・高円寺、気仙沼みらい計画

<黙祷 14時46分18秒>

第2部

基調講演|上谷宏二[建築構造・京都大学教授]
ディスカッション|渡辺豊和、高松伸、木村博昭、遠藤秀平

第3部

クロージンク|池宮正信 ピアノ演奏「希望コンサート」

松下IMPホール
http://www.mid.co.jp/imp/txt/access1.html
2012年3月11日(日)14時から17時(13時開場)
入場無料 定員850名
申し込み②↓↓↓
http://www.tomorrow-archi.jp/symposium-2.php
記者 濱田 義之

それは、いつの頃まで存在したのかわからないが、少なくとも私が卒業した昭和53年には存在しました。
 しかし、現在は無くなったようである。平成と呼ばれるまでに無くなったようですが、女学生が増えたことも要因としてあったのか、はたまた違う理由なのかわからないが現在はない。
 それはなにかと言えば新入生歓迎会である。もっとも他の科はそれなりに歓迎会があったようだが、建築科の歓迎会は独特である。歓迎会当日は、一人の新入生を逃さないように、授業の終わる少し前に先輩達が一年生の教室の前で待ちかまえているのである。そして一年生全てを当時は製図室に連れて行き、最初にさせるのは「ど根性」と叫ばすのである。まずこれが出来ないと前に進まない。足を広げて腰を落とし、両手は膝の上におく、そして腹の底から地面に向かって「ど~こんじょ~う」て叫ぶわけで、これが出来ないと次に進まない。以後建築科の生徒はこのフレーズをよく叫ぶことになります。
 次は応援歌を覚えさせられる。三曲あるんですが、第二工芸があるから時間内に覚えなあかんので大変。
校歌はまったく覚えていませんが、応援歌だけは未だに歌える。と言ってもさすがに卒業して34年程経過したので、ややうる覚えになってきました。
 最初の一つは数え歌ですが、応援歌の元は近大の応援歌から来たようです。
 
一つとせ 広いこころに まさこごろ 結ぶ男女の建築科
そいつぁ剛毅だね そいつぁ愉快だね(後このフレーズは同じ*)
二つとせ 古い学びし建築の 君と僕は 同期生
三とせ 三笠お山の花を手に 歌えや踊れの建築生
四つとせ 寄るとさわると騒がれる 建築生の艶姿
五つとせ いつもくる船連絡船 今日も建築生を乗せてでる。
六とせ むかし懐かしい建築の その名も高きながなすび(こいつがよくわからん)
七つとせ 泣くな級友別れても みとせの違いわすりゃせぬ
八つとせ 優し乙女のままごころに 建築生はむせびなく
九つとせ ここぞ浪速津工芸の 建築生はいきでもつ
十とせ となり大谷明浄から 建築生に会いに来る
おまけとせ 尾張名古屋は城でもつ おかちゃんのおこしは紐でもつ
最後もう一つあったような気もするが、合ってますかね。
 
次の歌は途中が抜けてると思うけど思い出せない。
 
ここは浪速か 大阪町か 大阪町なら工芸高校(ここを工芸学園とする説もある。)
 
工芸高校の学生さんは 度胸一つの男伊達
 
度胸一つで 阿倍野の道を 歩いて行く来ます建築の学生
 
ぼろはまとえど心は錦 どんなものにも恐れはせんぞ
 
どんなものにも恐れはせんが 可愛いあの子にや かなやしない
 
可愛いあの子はいつでも捨てる 母校の為なら命までも
                                        母校の為なら命までも
 
なんか中間あたりが違う気がする。
 
最後の一曲はかなりあやしい
 
あ~工芸の殿堂に 雄叫び励む時は来ぬ
今ぞ我らが奮い立ち 深紅のひはい打ち立てん
見よやこの覇気天を抜く 月桂冠はわれにああり
 
あ~浪速津の工芸に 雄々しくたたん時はいま
逆巻く怒濤を なにかせん けんじ我らに誇りあれ
くめや勝利の美酒を その名も高き工芸高校
 
この曲は全然だめですね。三番まであったと思うけど、皆さん覚えてますか、ご存じの方ご教示下さいませ。
他の科もほぼ同じような応援歌があったと思うが、覚えてますか?
 
記者 濱田 義之
 
工芸展が行われた2月4日に、DSCF0253.JPG毎年恒例のシグマ会賞が贈られました。
今年のゴールドは岡田真弥君(右側)です。
今まで賞とは えんがありませんでしたが、
卒業の時にもらえるとはよかったですね。
3年のシルバーは山本沙也加さん(中央)でした。
彼女は過去にも賞をもらいましたが、最後はゴールドを逃してしまいました。
今年の2年、3年生とも中々良い作品が多かったとの審査委員長のシグマ会会長東野先輩(左側)のコメントです。
その他にも、今回から審査委員の好みで、個別に審査委員特別賞が贈られました。
なんと12個も、ほんとは全部で14個の賞があったのですが、
二人が同じ人を選んだので一つ減
また、毎年大阪工芸会会長である伊郷会長が選ぶ特別賞が一つあったのですが、この日選んだのが、すでにシグマ賞に決まったひとなので、
ここでまた一つ減で、12個になりました。
在校生は、また来年の工芸展まで ガンバテ下さい。

また、この日は授賞式までの時間に、昼食を取りつつ来る工芸90周年についての意見交換を行いました。
今後このブログ等で報告いたしますが、皆さんの同窓会の状況などを確認したりしましたが、
ご存じのように最近個人情報保護の問題から、名簿一つ作るのも大変で、卒業したばっかりならば
それほどの事はありませんが、卒業年次が古い人たちは、音信不通の人が多くなります。
まだ学校がある内は良いですが、学校が昨今のの状況で、統廃合されれば
ほんとうに卒業生を把握することが困難な時代になります。
卒業生諸君、同窓会は数年に一度はしましょう。

記者 濱田 義之


 


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