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それは、いつの頃まで存在したのかわからないが、少なくとも私が卒業した昭和53年には存在しました。
しかし、現在は無くなったようである。平成と呼ばれるまでに無くなったようですが、女学生が増えたことも要因としてあったのか、はたまた違う理由なのかわからないが現在はない。
それはなにかと言えば新入生歓迎会である。もっとも他の科はそれなりに歓迎会があったようだが、建築科の歓迎会は独特である。歓迎会当日は、一人の新入生を逃さないように、授業の終わる少し前に先輩達が一年生の教室の前で待ちかまえているのである。そして一年生全てを当時は製図室に連れて行き、最初にさせるのは「ど根性」と叫ばすのである。まずこれが出来ないと前に進まない。足を広げて腰を落とし、両手は膝の上におく、そして腹の底から地面に向かって「ど~こんじょ~う」て叫ぶわけで、これが出来ないと次に進まない。以後建築科の生徒はこのフレーズをよく叫ぶことになります。
次は応援歌を覚えさせられる。三曲あるんですが、第二工芸があるから時間内に覚えなあかんので大変。
校歌はまったく覚えていませんが、応援歌だけは未だに歌える。と言ってもさすがに卒業して34年程経過したので、ややうる覚えになってきました。
最初の一つは数え歌ですが、応援歌の元は近大の応援歌から来たようです。
一つとせ 広いこころに まさこごろ 結ぶ男女の建築科
そいつぁ剛毅だね そいつぁ愉快だね(後このフレーズは同じ*)
二つとせ 古い学びし建築の 君と僕は 同期生
*
三とせ 三笠お山の花を手に 歌えや踊れの建築生
*
四つとせ 寄るとさわると騒がれる 建築生の艶姿
*
五つとせ いつもくる船連絡船 今日も建築生を乗せてでる。
*
六とせ むかし懐かしい建築の その名も高きながなすび(こいつがよくわからん)
*
七つとせ 泣くな級友別れても みとせの違いわすりゃせぬ
*
八つとせ 優し乙女のままごころに 建築生はむせびなく
*
九つとせ ここぞ浪速津工芸の 建築生はいきでもつ
*
十とせ となり大谷明浄から 建築生に会いに来る
*
おまけとせ 尾張名古屋は城でもつ おかちゃんのおこしは紐でもつ
*
最後もう一つあったような気もするが、合ってますかね。
次の歌は途中が抜けてると思うけど思い出せない。
ここは浪速か 大阪町か 大阪町なら工芸高校(ここを工芸学園とする説もある。)
工芸高校の学生さんは 度胸一つの男伊達
度胸一つで 阿倍野の道を 歩いて行く来ます建築の学生
ぼろはまとえど心は錦 どんなものにも恐れはせんぞ
どんなものにも恐れはせんが 可愛いあの子にや かなやしない
可愛いあの子はいつでも捨てる 母校の為なら命までも
母校の為なら命までも
なんか中間あたりが違う気がする。
最後の一曲はかなりあやしい
あ~工芸の殿堂に 雄叫び励む時は来ぬ
今ぞ我らが奮い立ち 深紅のひはい打ち立てん
見よやこの覇気天を抜く 月桂冠はわれにああり
あ~浪速津の工芸に 雄々しくたたん時はいま
逆巻く怒濤を なにかせん けんじ我らに誇りあれ
くめや勝利の美酒を その名も高き工芸高校
この曲は全然だめですね。三番まであったと思うけど、皆さん覚えてますか、ご存じの方ご教示下さいませ。
他の科もほぼ同じような応援歌があったと思うが、覚えてますか?
記者 濱田 義之
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