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シグマ会を創設され、創設期から建築教育やシグマ会の運営に情熱を傾けられた、山本利雄先生(東京高等工芸専門学校卒:現千葉大工学部)、斉藤暢先 生(名古屋高等工業専門学校卒:現名古屋工業大学)、藪中幸彦先生(福井高等工業専門学校卒:現福井大学)、当時校長であられた篠原太郎先生(蔵前高等工 業専門学校卒:現東京工業大学)が鬼畜に入られて久しい。
在籍して間もない頃、山本先生(科長)からお聞きしたシグマ会の由来について、以下に簡略に記し ます。

言うまでもありませんが、『シグマ』はギリシャ文字の『Σ』であります。
山本先生が都島工業学校に在学中、都島工業の建築科で力学を教えておられ たのが篠原先生で、力学の授業には盛んに『Σ』が出てきます。

一方篠原先生のニックネームが北海道に生息する大型の熊『ひぐま』であったそうです。
『ひぐ ま』をもじって『シグマ会』にしたと、話されました。

また大阪市立工芸学校建築科は、昭和19年(戦争中)に戦争遂行のため図案科が廃止となり、図案科の代わりに創設されました。

工芸学校の『工芸』 も改称をせまられた時代です。
敗戦後、間もない頃、学校の制度も旧制度から新制度に変わったが、学校に行っても教室も十分に無い、教科書も無い、食べ物も 無い、着る物も無い、就職先も無い、大変な時代でした。
この混乱期に赴任され、先生方が非常に困られたのは、卒業して行く生徒の就職でした。
当時は、都 島、西野田、今宮、伏見、吉野、兵庫の県立工業等に建築科があり、いずれの学校も、明治40年頃に設立されており、古い歴史と伝統をもった学校と新設の学 校の就職は大きなハンディがありました。
会社に入ってからも、引き立て、指導してくれる先輩の卒業生はおらず、孤立無援という状態です。
卒業生が自信を もって活躍する為にも、また在校生に希望を持たす為に、在校生・卒業生・学校が連帯感を持つ必要を痛切に感じられたそうです。

以上、山本先生からお話をお聞きして半世紀近くが過ぎました。
物故されました山本先生、斉藤先生、藪中先生、篠原先生、最近亡くなられた波多野泰之祐先生のご冥福をお祈り致します。
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