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工芸レイディオ〜母校を愛するあまり〜を聞いて
「ど根性」なるものがいつ頃から始まったのかちょっと調べてみたが定かでありません。
シグマ会の会誌を読んでいると、いくつかの記述があった。
1952年(昭和27年)発行の会誌の中に新入生歓迎会として、こんな記述がありました。
「新一年を交へ放課後Σの友達は『生命をかけて我らの歴史築き行かん』の建築の歌を練習する美しい集いが目にうつた。」
と記載されている。
わたくしも歓迎会で応援歌を3曲覚えさせられたが、こんな歌詞の歌はなかった。
第一に、美しい集いとはちゃうやろ!
また、シグマ会50周年の記念誌に、昭和29年(1954年)卒のOBがこんな文章を掲載している。
「当時 建築科は講堂で 2,3年合同教室で 先輩「3期生」に
建築科の「ど根性」と申し、こんこんと 説教され バケツを頭に
シグマ会の精神とやら入れ替わり立ち替わり 数時間に渡り 続いた様に思います。
恐ろしい学科に入学したものだと思いました。」
わたしの時代はバケツはないし、精神論は無かったと思う。
とにかく「ど根性」に始まり、応援歌を覚えることが優先されたように思います。
そのおかげで、卒業して35年経つけど、応援団でないのに応援歌が歌える。
もっとも最近はだいぶんと危うい記憶である。
結局の所いつからか解らないが、かなり昔からやっているのだろう。
補足:当時の講堂は、現在のデザイン教育研究所の位置ありました。
また、建築科は設置されたばかりで、自前の教室が無く、学校内を彷徨ってた時代です。
これらの話しは、シグマ会会誌に詳しく書かれています。
工芸レイディオを始めたのは我らシグマの後輩達であります。
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