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シグマ会 会誌第10号 5頁
シグマ交友10年 蔵田 周忠(武蔵工業大学教授)

 書棚の隅に茶色の袋に入れて、上には「大阪工芸」と私が毛筆で大きく書いた包みが、

今では三袋ある。-隅にと書いたけど、私としては大切に保存してある、何かの資料の一つである。

 これが言うまでもなく大阪市立工芸高等学校建築科の諸君が出された”Σ”と「古塔」なのである。

なつかしくいろいろの思い出につながる資料なのである。

 Σが発行10周年の記念号を出されるというので、しぐま・Σ・紫隅の第1号から取り出して

ながめている。

-昔から十年一と昔という。思えばΣだけでも一と昔のむかしからの交友なのである。

これを出した諸君を育ててこられた篠原前校長をはじめ、直接には山本科長、渡辺現校長、

それから多くの先生がたと、長い間のおつきあいである。よくもつづけて送って下さつたものと思う。

これにはもちろん諸君の山本利雄先生の並々ならぬ、友情がこめられていることを感じている。

 Σの第1号の出たのが奥付を見ると、昭和24年とある。丁度偶然なことには、

私達の武蔵工大が、新制大学として立ちなおつた年でもある。もとの高等工業専門学校から

新しいシステムに切りかえて発足した大学でもいろいろの苦労があったが、

それに比べてΣを発行してきた諸君の工芸高等学校の成り立ちと経営とが、

どんなに困難な仕事であつたかは想像もできないほどだと思う。

 お互いに発足した頃は、技術を身につけようとする若人が第一少なかった。

その道に入つてけわしい坂を登ろうと決心されたΣの先輩のような若者は、

たしかに勇気のある青年であったと、今から讃えられてよい人達だと思う。

 当時混沌とした社会の中でそれらの若人をうけ入れて、守り育てて、

今や立派な技術者として働く諸君を作り上げられた校長と先生達は、

云うに云われぬ苦労をされたにちがいない。

 けれども今や10年というエポックを画して、輝かしい前途を望みながら、

立派に築かれた現在の地盤の上に、堂々と足を踏ん張って立ちながら過去を振り返ることは、

過ぎ去った苦労を忘れてうれしいことである。

 その共感の故に、直接間接に仲間である”Σ”と「古塔」の発展をいつも遠くから

見守ってきた一人として、10周年を迎えられたお祝いを申し上げ、

一層の御精励と御発展を祈りたい。(1958.10.31)

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