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シグマ会 会誌第10号 6頁
裏切者  笹川 博敏 (3期生)
 近頃になって、ボクは罪深い夢をよく見えるようになった。

 黒ずんだ製図板の上にのったT定規とカラス口の幻影である。

 こんな悪夢に悩まされるからといって、別に贖罪しようなどという気は毛頭ないけれども、

寝覚めのいいものではない。

 ボクがT定規を捨ててから六年余りになるが、今までこんな嫌な夢を見た覚えがないだけに、

何かうしろめたい思いだ。こんな事を書くと母校に悪いけれど、もはや忘れ去ってしまった筈の

思い出が記憶力の良くないボクの脳裏に刻みこまれているとすれば、

母校を裏切った因業応報というやつかも知れない。

 ボクが工芸学校へ入学したのは、ボクの意志ではなかった。

オヤジが図案科卒業の大先輩だというまったく無意味な親馬鹿チャンリンで

入学させられてしまつたのが真相である。

 もっとも、ボクだってオヤジの正当な血を引いているのだから、

薄い毛髪を掻きむしりながら製図板に向かっていたオヤジの哀れとも悲壮ともつかぬ姿に

ある種の畏敬の念を抱いていたことは否定出来ないけれども、

叔父も同じ工芸の図案科卒業生だったという悪条件と、それに、

当時は普通の中学校へ入ると予科練などに行かなければ家門の恥辱などという 

おせっかいな社会状勢だったし、戦争も怖いし、オヤジが絵筆を握って兵役を

まぬがれていたから、ノコノコと奈良の山猿が、

まるで牢獄のような赤レンガの校門を潜ったわけである。

・・・・中略・・・・

 大学の文科へ入った少年は、今東光という心の支柱を得て、

脱兎のごとく破滅への道を駆け出した。

少年が立ち寄るところには必ず事件が起こった。

 ここでボクは愚かな少年のために、母校の恩師、先輩、それに同級生の諸氏に

謝罪しなければならない、少年が惹き起こした不祥事は、

すべてボクに免じて赦してやつていただきたい。

 悪気のある奴ではないのである、就職運動もせずに、

己の夢に酔いつつ少年が紅燈の港を彷徨し、焼酎臭い息を吐きながら文学論を

喋り散らしている時でも腐敗した脳の片隅では諸兄にわびていたのだから・・・・・

 文学という麻薬のために就職口を棒に振ったこの少年は、

一段と青白き文学青年に成長し、大学院に進んだが、

彼が文学という無形の世界に沈溺することの楽しさ、それへの生き甲斐とは別に、

やはり男にはビジネスのあることをようやく悟り、またまた、

文学という最愛の人を裏切ってしまった。

工芸学校という良き母校を裏切ったと同じように・・・

 テレビ放送界へ迷い込んだボクは、やっと魂の遍歴に小康を得たように思う、

良きにつけ悪しきにつけて人生の出発点であった母校を裏切り、

今また自分の宿り木から出奔したボクだけれど、まだまだ裏切り足りないと思っている。

 近い将来に第三の明智光秀にならないとも限らないが、あれもこれも、

自分自身を裏切りたくないからだ。

 そして、この裏切り者の土性骨を養うことが出来たのは他なら無い

母校工芸学校時代だったことを肝に銘じて忘れない。

 ボクは母校を裏切ったけれども、母校がボクに教えてくれた人生への道標だけは、

これからも鼻先に、この裏切り者が、”俺はこれでも母校に貢献するために、

この悪文を書いたのだ”呟いたことを補記しておかなければなるまい。
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