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3月29日(日) シグマ会主催
交流会及び古文化研究を決行し、
堺の『こんぺいとうプチミュージアム』
『清学院』内覧と
『鉄砲鍛冶屋敷』外観を見学しました。
子ども~大人まで 総勢44名で
この春卒業したばかりの卒業生や3年生になった工芸生も参加し
桜に負けず、笑顔満開で楽しんで参りました♪
午前中は雨で、午後からの街巡りが心配でしたが
何とか止んでくれて無事決行することができました。
そして奇跡がもう1つ
清学院の案内人の男性が まさか、まさかの~~
『工芸の卒業生』の方でした!!
またまた、工芸の縁を感じながら
無事、交流会を終えることが出来ました。
ご参加頂きました皆様 ありがとうございます。
ご参加して頂けなかった皆様 次回は是非
ご参加くださいませうようお願い致します。
尚、次年度の交流会は10月中旬を予定しております。
また詳細は 決まり次第ご案内させて頂きます。
楽しみにお待ちください♪
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シグマ会会員の皆様へ
本年も多くの方に本FBをご覧頂きありがとうございます。
今年は特に10月にシグマ会創設65周年の大同窓会に多くの方が
お集まり頂き誠にありがとうございます。
来年も色々とシグマ会をはじめとして大阪工芸会等の行事がございます。
年明け1月4日からは、デザイン教育研究所では恒例の紙技展が
開催されます。(詳しくは大阪工芸会FB又はデザイン教育研究所FB
をご覧下さい。)
2月7・8日には工芸展が開催され、ここでも恒例の在校生を対象とした
シグマ賞表彰を行います。
既に審査委員をお願いする卒業生の手元には案内が届いていると思いますが、
出来る限りご参加頂けるようお願い致します。
ご承諾の可否は年明け1月19日までにお知らせ下さい。
また、工芸展においては今回プレオトナ工芸魂も開催されます。
3月29日にはシグマ会の交流会が行われます。
今回はこんぺいとう作り体験&古文化研究で堺へ行きます。
詳細は追って掲載いたしますが、ご参加をお待ち申し上げております。
5月にはシグマ会総会がございます。学年代表の方には
ご苦労をおかけしますが、ご参集頂けるようお願い致します。
7月には御堂筋ホール心斎橋で開催される「ペイント&クラフトスクエア」
においてオトナ工芸魂もブース参加されます。
そして11月には大阪南港ATCビルITM棟10階 デザインギャラリー
において第3回オトナ工芸魂が開催されます。
昨年は建築科/建築デザイン科の出展者・ボランティアとして参加頂いた方は
5名でしたが、次回はさらに増える事を期待しております。
特に建築の方は、自分の設計した建物、施工した建物の写真やパネルを
展示頂き、自分の会社を宣伝して頂いて結構なので、これを機会に仕事に
繋がれば大変うれしく思います。
また、他業種・他科出身者との交流に繋がり、新たなるアイデアや
コラボ等を見いだせるることになるかもわかりません。
シグマ会・大阪工芸会は工芸の輪が広がるように、今後も皆さんが
集える場所を提供し、皆さんを応援できれば良いと考えてます。
今後も出来るだけ更新し皆様に情報を伝えて行きたいと思います。
みなさま 良いお年をお迎え下さい。
尚、シグマ会にご意見・ご希望がございましたら、
下記メールアドレスへお願いいたします。
sigma.kougei@gmail.com
シグマ会会長 濱田義之
シグマ会大同窓会に開催にあたり
本日シグマ会大同窓会が13時より新大阪ワシントンホテルプラザで開催されます。
そのおりシグマ会会長としてご挨拶させて頂きますが、時間内にとても終わらない言い尽くせない事がありますので、開催に先立ってこの場にてご挨拶させて頂きます。
あらためて本年よりシグマ会会長に就任いたしました。昭和53年、1978年に卒業いたしました濱田義之です。以後お見知りおき下さい。
本日はシグマ会設立65周年、そして工芸に建築科ができたのが昭和19年で、今年で70周年を迎えます。昨年は工芸高校の創立90周年記念事業が行われ、シグマ会会員の皆様にも多くのご寄付を頂きありがとうございます。
しかし、今申しましたように建築科は今年で70周年です。工芸は当初、金属工芸科・木材工芸科と、当時の工芸図案科の三科しかなく、昭和19年の戦局悪化の為か、工芸図案科が廃科され替わりに建築科が設置されました。
翌昭和20年に終戦を迎え、昭和21年には工芸図案科が復活し、建築科は建築工芸科に改名されました。昭和23年1948年に教育制度改革により、当時の建築工芸科として4・5年生だった学生がそのまま、新制工芸高校1・2年生に編入され、その翌年1949年にシグマ会は創設されました。
ここから建築科の苦難が始まります。少しオーバーな言い方ですが、シグマ会は昭和24年に当時の在校生によって設立されました。その時より20年間会報のシグマが発刊されております。現在全ては残っておりませんが、シグマ会のフェースブックにて見られます。
設立当時はまだ、日本は独立国家ではなく、いわゆるGHQによって支配されており、シグマ会会誌の第1号はそのGHQの検閲を受けなければ発行出来ないような時代でありました。また、当時の建築科においては、まったく自前の教室がなく、工芸の中をさすらっていたと聞きます。当時のシグマ会誌に書かれた文章を引用いたしますと、
「予算をともなわず本校に併設されたわが建築科は自己の教室をもたず、製図机・製図版一枚なき建築科であって全く図案科に同居させてもらっていた。それも永い間続いたのである。今年は二階に実習室を、今年は三階に、今年は二階と三階に分れ分れに、今年は教官室は実習室とは、はるかに離れた一隅に、遂に今年は講堂に実習室を移すといったふうに転々漂泊人の如く建築科の本拠が校内のそちらこちらに動いて行った。」
「諸君の先輩が自分の実習室一つなく製図板一枚なく借り物で間に合わし参考書一冊なく世は科の存在さえしらないといった学窓生活に耐えてきた。世に出ては現場で素手で凍った溜水を汲み出すということやこれに類する試練を乗り越えた地と涙の短いながら「生命をかけて築いた歴史」であった。これがΣ魂なのだ!古いかも知らぬ、馬鹿げているかも知らぬ。これに耐え築かなければ存立出来なかったΣであり創設時代だった」。
そして昭和27年に建築科としてはじめての専用パネル校舎が竣工、製図室と職員室が完成したのです。
シグマ会会誌の昭和27年の報告と感謝の一文を引用すれば
「 わが家初めて建つ
昭和19年併設以来、わが建築科が転々として、他科に同居させてもらっていたり、講堂に仮住まいをしていたが、校長先生の御骨折りで、昭和27年3月遂に木造平屋70坪の建築科実習室を校庭東側に建てて頂いた。たとえ仮建築とはいえ、待望のわが家が8年振りで出来、新年度四月からΣ全員歓びと感激をもって新居で授業を開始できたことは有難く、うれしいことであつた。同時に中版製図板の45枚とT定規入れ3ヶなど新調されて、充実した新教室で清新な気分に一同浸つた。」
その後昭和29年に現在の3号館完成し、建築の実習室ができました。
また、建築科にとっては大恩人と言うべき篠原太郎校長(1948~1958年在職)が赴任される少し前には廃科問題もあったようで、会報には以下の文章がありました。
「篠原校長御赴任少し以前廃科問題さへ起つてきた。科長欠員の若い故藪中、斎藤、上辻先生の胸中はどうであったろう。 この建築科を背負う二十三、四才の三青年には余りにも大きな問題であった。つぶれるか、生きるか、に当面した三先生は立ち上った。生徒の父兄を一々訪問して協力を得た。事ならずば、いざさらば工芸;都島工高建築科に生徒を引きつれ移って行く決心をし、内々都島の長尾科長の内諾を得た。悲そうであった。引きつれていったら生徒は食客のように淋しかろうと諸先生は正に暗澹とした気持ちになられた。この間当時の篠原視学、長尾先生の御温情は絶大なものであった。
今日ここにわが工芸の建築科が存続するのは情熱と気魂の藪中先生、冷静明哲の斎藤先生、黙々誠実の上辻先生のトリオの堅き団結と篠原先生、長尾先生の五恩人のお陰と伝ひたい。」
初期の話しだけでも、時間が足りないぐらいに我らの先輩はご苦労なされてきたわけです。
話は前後しますが、シグマ会が出来た理由としては本日残念ながら体調不良の為、お越しいただけなかった崎山先生が、シグマ会50年のあゆみで書かれた文章を引用させて頂くと。
「当時は、都島、西野田、今宮、伏見、吉野、兵庫の工業高校には建築科があり、いずれの学校も、明治40年頃に設立された古い歴史と伝統を持った学校に対して、新設高は就職に大きなハンディがあった。会社に入っても、引き立て、指導してくれる先輩はおらず、孤立無援という状態です。
そこで、卒業生が自信を持って活躍する為にも、また在校生に希望を持たす為にも、在校生・卒業生・学校が連帯感を持つ必要性を痛切に感じて作られたのが、このシグマ会です。」
そのシグマ会が今日まで続いてきたのも、初期の苦難な時代に生まれた、一致団結・ど根性の精神だと思います。
しかしながら年月も経てば初期の精神は薄れます。一致団結・ど根性の本家本元の建築では既にど根性と叫ぶこともないとか、当然シグマ会の活動も65年の間若干陰りがありました。
それでも初期の精神を受け継いだ有志の諸先輩方々の努力もあり、今日までシグマ会はつづいてきました。しかし、それは先輩方だけでなく、先生方のご協力の賜物と思っております。
その一つとして10年程前から行われておりますシグマ賞です。
工芸高校展に於いて、優秀な生徒の作品をシグマ会として表彰するという行事が今日定着し、若い卒業生においては在学中はシグマ賞を取るために頑張ってくれました。
今日こうして多くの卒業生が集まる機会はなかなかありません。
今日は上は昭和32年卒(76才)から本年度卒業(19才)した若い卒業生までおられます。中には同じ会社で勤務されている方、取引している会社の方や、必ずしも建築では無い方など色々な方がおられると思いますので、この機会に同じ年代だけで固まらず広く交流して下さい。ひょっとして新たなビジネスチャンスがあるかもわかりません。名刺交換もどしどし行って下さい。
今日はそんな皆様を引き合わせる会であり、わたくしも会長として自分に繋がりある人を引き合わせ繋いで行き、また逆に私と繋がった人が私を他の人に繋いで行ってもらいたい。こんな人探してるんですと言えば「おるで」、「知っているで」と言う言葉が返ってくるかもわかりません。先輩・後輩との意識よりも同じ学校で学びし仲間と思って下さい。
長くなりましたが、最後に今までシグマ会を継続してこられた先輩方々にはあらためてお礼申し上げます。
そしてこのシグマ会を今度は私が若い方々へ引き継いで行く番になるわけですが、私が会長で有る間に若い会員の方へスムーズに移行出来るような環境作りに今後励んでいきます。
その為にも先輩方々はこれで終わりではありません。まだまだご協力の程お願いいたします。その為には先輩方にはシグマ会シニア会でも作って頂き、若い方にはシグマ会ジュニア会等を作って頂き活動して頂ければ良いのではと思っております。
今後ともシグマ会の活動にご支援、ご指導頂き通じては母校、在校生の為になる事を行って行きたいと思っておりますのでご協力の程よろしくお願いいたします。
最後になりましたが、本日の開催にご協力頂いた役員並びに学年代表の皆様、先生方には厚く御礼申し上げます。
さらに本日の撮影を担当して頂きます写友会の皆様にも御礼申し上げます。
ありがとうございます。
平成26年10月19日
今年も2月8日の工芸高校展初日に、
建築デザイン科生徒作品の優秀賞(シグマ賞)の審査がおこなわれました。
下の画像はクリックして拡大して御覧下さい。
審査委員の表を集計しております。
今年は3年生では、2次審査で同数となった二人の
決戦投票でも同数となり、最終委員長の裁定にて決定しました。
大阪工芸会 伊郷武治 会長の挨拶
シグマ会 東野忠雄 会長による表彰
本年度ゴールド受賞者の挨拶
その作品
その後、各審査委員より個人賞の受賞が行われる。
本年度の参加審査委員
伊郷武治 大阪工芸会会長(S.37図案科卒)
東野忠雄 シグマ会会長(S.37卒)
糟谷 修 シグマ会副会長(S.40卒)
上杉正人 (S.42卒)
岡本展好 (S.48卒)
濱田義之 (S.53卒)
片岡 朗 (S.63卒)
松谷博和 (S.63卒)
小林貴世子(H.4卒)
生田幸子 (H.8卒)
植松 樹 (H.10卒)
矢野智人 (H.11卒)
高橋利明 (H.12卒)
岡室美穂 (H.17卒)
中田雄介 (H.18卒)
吉村沙知 (H.18卒)
岡田真弥 (H.24卒)
藤井春佳 (H.25卒)
以上18名(敬称を省略させて頂きます。)
建築デザイン科生徒作品の優秀賞(シグマ賞)の審査がおこなわれました。
下の画像はクリックして拡大して御覧下さい。
審査委員の表を集計しております。
今年は3年生では、2次審査で同数となった二人の
決戦投票でも同数となり、最終委員長の裁定にて決定しました。
大阪工芸会 伊郷武治 会長の挨拶
シグマ会 東野忠雄 会長による表彰
本年度ゴールド受賞者の挨拶
その作品
その後、各審査委員より個人賞の受賞が行われる。
本年度の参加審査委員
伊郷武治 大阪工芸会会長(S.37図案科卒)
東野忠雄 シグマ会会長(S.37卒)
糟谷 修 シグマ会副会長(S.40卒)
上杉正人 (S.42卒)
岡本展好 (S.48卒)
濱田義之 (S.53卒)
片岡 朗 (S.63卒)
松谷博和 (S.63卒)
小林貴世子(H.4卒)
生田幸子 (H.8卒)
植松 樹 (H.10卒)
矢野智人 (H.11卒)
高橋利明 (H.12卒)
岡室美穂 (H.17卒)
中田雄介 (H.18卒)
吉村沙知 (H.18卒)
岡田真弥 (H.24卒)
藤井春佳 (H.25卒)
以上18名(敬称を省略させて頂きます。)