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 シグマ会 会誌7号の記事からページ(30)-(32)
黒岩明男君の死     山本利雄
 春の野に萌え出ずる若芽を心なき人によって踏みにじられ、
生命を枯らすことでさへ心痛むものである。
 若し人生の終野に光明と希望を持って飛び立つた若々しい牡鹿を
戯れに射た弾で葬られたとしたら、これほど無情、無惨なことはあるまい。
 黒岩明男君の死は正にそれである。いやそれよりも酷であり、
激しい怒りさえ覚える。
 幾星霜、両親の慈愛は卒業する日を待たれたことであろう。
師は幾度か慈悲の鞭を打って鍛へた大成を念願したことであろう。
 Σの友達、第5期生黒岩君は蛍雪になり、今29年3月わが建築科を
終わられ、本人はもとより御両親の喜びのうちに田中建設株式会社へ就職。
然も母校建築科の新校舎の仕事に従事すると云った幸せに巡り合った。
5月の堀り方の工程頃から、自ら育ち遊んだ校庭に日夜姿を現し、
この仕事に生命を打ち込まれたのであった。
 ・・・・中略・・・・
 あヽ!今は無し、明男君!Σの友達の初めての死、然もこの3月
巣立ったばかり、前途洋々の若芽、青春の牡鹿が残酷にも、
あの建築科教室のすぐそばに建った現場小屋の2階で9月24日の未明、
強盗の一撃によって、就寝中にたおされたのであった。
 それから三昼夜病床にあって、意識戻らず、遂に一言も語らずして
9月27日午前3時36分永眠されたのであった。
 あヽ!なんと云う悲しき事であろう。何という不運なことであろう。
ただ不慮の災難というほかない。心から冥福を祈る。・・・以後省略

 (シグマ8号によると、翌年黒岩家では一周忌の法会が行われた。
その際記念として学校へ大時計を寄贈された。篠原校長もこれを受領、
学校会議室の壁に掲示永久に同君を偲ぶようにしたと書かれていましたが、
現在この大時計が何処にあるのか?)
 
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