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紫偶会誌6号の記事からページ(22)
日本にも高層建物は立つ  建三 服部 章
 橋本君と私の卒業設計はホテルをやった。それの階数が30階近かった。
 先生にみてもらうと「これは法規にひっかかるからかんばしくない」と
云われた。私はこの法規がどんなこんきょから生まれたかしらないが、
多分地震的応力、地質的応力等の見地から出てきたのであろう。
であれば、これをマンゾクするように建築構造を特殊化して考えたら
どうであろう。これは夢かも知れない。しかし私はこれを夢とは考えない。
日本にも必ず何十何階という建築物は立つ。例えば地上30階にすれば、
地下7階~10階ぐらいにし、地上3階ごろから地下の3階ごろまで、
又地下全部を建物周囲を厚さ1Mぐらいの壁をつけると、
地震による応力は耐えるだろう。地震がくれば土地が動くように建物も動く。
 
(日本最初の超高層ビルと言えば、霞ヶ関ビルディングです。
地上36階、地下3階、地上147mで、1965年(昭和40年)に起工、
1968年(昭和43年)にオープンする。この頃の建築基準法により、
31mという高さ制限(いわゆる百尺規制)があったが、1962年
(昭和37年)に建築基準法が改定されたのをきっかけに、
霞ヶ関のプロジェクトが始まった。この31mというのは元々は
英国法の100フィートという制限からきたらしい。ただし、実際は
建築基準法の特例により31mを超える高さの建築も可能であったため、
1953年(昭和28年)には高さ41.23m、12階建ての大阪第一生命
ビルが竣工し、1954年(昭和29年)には高さ43m、11階建ての
東急会館(現・東急百貨店東横店西館)が増築により完成している。
なお、この当時に日本で最も高い建物は国会議事堂の中央塔 (65m) です。)
 
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