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紫偶会誌5号の記事からページ(37)-(41)
昭和27年度の報告と感謝を抜粋する。
わが家初めて建つ
 昭和19年併設以来、わが建築科が転々として、他科に同居させてもらっていたり、
講堂に仮住まいをしていたが、校長先生の御骨折りで、昭和27年3月遂に木造平屋
70坪の建築科実習室を校庭東側に建てて頂いた。たとえ仮建築とはいえ、
待望のわが家が8年振りで出来、新年度四月からΣ全員歓びと感激をもって新居で
授業を開始できたことは有難く、うれしいことであつた。同時に中版製図板の45枚と
T定規入れ3ヶなど新調されて、充実した新教室で清新な気分に一同浸つた。
 
渋谷先生来講
 今学期より元都島工高建築科長、伏見高校長であり、建築教育界の大先輩
渋谷五郎先生を講師として迎え、一年の木構造、三年の施工を教えて頂くことになった。
校長先生の御関係もあり並に山本の恩師とて御願いして御承認を得たもので、
願ってもなきΣの充実を示した。
 
歓迎会
 4月29日天皇記念日を期し新入生の歓迎とΣの親睦を兼ねて、全員ならへ
遠足会を催した。雨天のための集まりが少し悪かったが、雨中の東大寺博物館
の白鳳天平展など味い深い一日を送った。
 
リチャード・ノイトラ氏     
 5月10日有名な米国の建築家ノイトラ氏の講演会が朝日新聞社にあったので、
Σの有志は多数拝聴に出た。
 
(リチャード・ジョセフ・ノイトラ(Richard Joseph Neutra、1892年4月8日ウィーン
- 1970年4月16日)は20世紀中頃に活躍したオーストリアのユダヤ系ドイツ人の
アメリカの建築家。ドイツ語読みではリヒャルト・ヨーゼフ・ノイトラ。)
 
法隆寺
 5月11日、常に御指導と温かい庇護をΣによせられている蔵田周忠先生が
法隆寺へ来られたのを機会に山本、佐江木両名は卒業Σ会員と共に同寺にて
拝眉、改修新塔をあふぎ、併せて連盟当番校として展らん会の企画について
御教示を得た。
 
(蔵田 周忠(くらた ちかただ、1895年2月26日 - 1966年3月7日)は日本の建築家。
分離派建築会に参加し、建築史関係の著作が多い。また、東京高等工芸学校、
武蔵工業大学で後進を指導した。)
 
卒業旅行
 5月31日九州方面へ卒業旅行に三年生25名本日出発。二泊三日の修学旅行
にて斉藤先生引率された。土曜日のこととて、一年二年のΣの友達多数、
大阪駅へ見送りに出た。整然Σの歌を合唱して見送った様子は実にうれしい
口径であった。6月4日、元気でつつがなく帰校した。
 
キャンプ其他
 Σの体力向上とリクレーションのための有志、7月21~22日、近江舞子に
キャンプする。参加一、二、三年十数名愉快な集いであった。山本、島野教官引率、
小豆島キャンプは学校の催しであったが、一年生数名参加、斉藤教官がつきそって
行かれた。山岳部では21日~25日迄、白馬を中心とする日本アルプスに、
三年橋本、槙田君と佐江木教官出かけられた。尚学校催しの富士登山も
26日~28日迄行われ、一年数名参加、佐江木教官同伴さる。
 
現場実習
 例年の如く各方面の御高庇により、2年3年合わせて36名の多数の生徒が
夫々の現場で勉強させて頂いたことは心から有難いことであった。
 このことが、初めての経験ある二年生は全く無中で頑張りつづけた。
また、三年も炎天下ほろりとさせる程の真実味あふれる精進ぶりだったことに
敬意を表し、御厄介になった先と生徒氏名を記し謝意を表する。休中教官交代
で生徒の現場を見に廻り激励した。
 尚、2年3年合わせて20名のものが、市役所建築局の大阪市街地建物調査表
の仕事に休中実習室を市の仮出張所として出勤働きつづけた。市の好意に感謝
すると共に、島野先生が一日も休みなしに休返上して指導に当たられた。
 
体育祭
 10月19日恒例の体育祭が開かれ、四年連続応援団優勝を記録した。
一年は競技で2位を獲得した。二年は仮装(消防出初式)で二位を得た。
団結と協力は全く建築の独特のもので、敬意を表したい。
 
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