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 紫偶会誌5号の記事からページ(16)より
建築生なら 根性をもて 佐々木修一
 寒い寒いと云っていた冬も遠ざかり、早や入学後二回目の春を迎えよう
としている。かえり見ると、入学当時から今日迄、嬉しい事も、楽しい事も、
苦しい事も一通りと云ってもほんのはしっくれを味わってきた。そしてどうにか、
今日までこぎつけたのである。
 青葉、若葉の芽が大きくなるにつれ、私達の心の眼も希望にかがやき、
早や三年と云う学校の最上級生たる年を迎えようとしている。一年の始め
から二年の今日まで苦しい事も多々あった。又悲しい事も味わった。
その出来事に出合った時、私たちは足りない力でありながらも、出す限りの
力を出してきた、がまだ精神的なたんれんがたりないのか、その出来事に
やぶれてきた。
 今考えてみると、情なく思う。なぜならば、物事は必ず成立するのであるから。
その物事を成立させるには、たとえようのない忍耐力が必要である。
又、男としての根性がいる。その忍耐力がすなわち男の根性ではないだろうか。
その忍耐力すなわち根性が、建築科の生徒には必要ではないだろうか?
 人になぐられたら、なぐりかえすような男になりたいと、私は努力しているのである。
その意味において、今の二年生、一年生、又新しく来る一年生が根性のある
人間になってくれるよう希望する。
 浅緑に晴れわたった大空のように希望に溢れ、若葉のように新鮮な感情と
あこがれを抱いて校門をくぐって既に二年の歳月も過ぎ去り、多彩な思い出と
共に若い青春は刻々と過ぎて行く。
 日本も七年間の占領行政を脱して漸く昨年独立国家として一人立ちできるように
なった今日この頃。木々の梢も色づき、野にも山にも一面に美しい花が咲き、
小鳥たちは可愛い口もとを動かして春のよろこびを歌いまくる。人々の心に
一点のかすかな光を投げかける希望の春。思っただけでも胸は一杯になる。
高校生活最後の一年生だ。明るく楽しく生しくこの最後の年を多彩な思い出と
共に高校生活の扉を閉じたいものだ。
 
(この年の前年、昭和27年4月28日(1952年)サンフランシスコ講和条約
が発効され、日本は独立しました。その後、1952年(昭和27年)2月10日
トカラ列島、1953年(昭和28年)12月25日奄美群島が返還される。
1968年(昭和43年)6月26日に小笠原諸島の返還がなされ、
最後に1972年(昭和47年)5月15日沖縄返還(琉球諸島及び大東諸島))
 
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