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紫偶会の発展  建二 小田 崇
 僕が入学した当時山下君からこの建築科に紫偶会があるというのを
聞きました。それから今日に至る二ヶ年僕はその紫偶会の在り方、
内容などを見て来ましたが、僕もそれに参加していたのですが、
それについて感じた事に紫偶とはよりあつまるという
意味で即ち建築科であれば先輩、後輩の人々が集まって、
なごやかに先輩後輩達と仲良く肩をくんで行こうではないかと、
表面では表す場合も表す事のない場合もお互い心で誓うのであって、
お互いのなぐさめ、励まし合うのであって先輩の人々は後輩の我々に
社会に出る態度、社会での人生生活、社会状況など経験、体験された
ことを語ってもらい、我々の社会に出る心がまえというものを教えてもらい
非常に参考になる点がある。それらを我々後輩のものはよく考えて着実
に学生々活をおくらねばならないと、いうことを痛感しました。
  そこで紫偶会というものが生まれて五年目になりますが、年はあさくとも
内容の充実したものであって非常に効果的な会合であると思っている。
しかし、僕は紫偶会に希望したいことは先輩後輩の人達が一年に一回
だけ集まるのではなくて、少なくとも二、三回ほど暇を見て会合を開いて
ほしいと僕は思います。
 卒業された先輩の諸氏達は社会に出るとどうしても母校の生徒並びに
諸先生と合うことが少なくなるゆえにどちらもしばらくはなれていたらもう
一度合ってみたいと思う時もある。その機会に適したのが我が建築科の
紫偶会であって、この会合を一生涯続けるための当事者はよく考えて
ほしいと思う。
 紫偶会をより良きものにするには全てのものが協力と援助が必要で
あって将来僕らが大人になっても工芸の建築科に紫偶会の会合ありと
いうことを聞かせしめてほしいし、又発展してほしいと僕は希望すると共に
僕は念願します。
                              二十七年二月二十六日
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残念ながら一番古い号は4号しか残ってません。
この年建築科はついに自前の教室を確保する。
そんな話しやら、建築科が無くなるかもといった話しが掲載され、
シグマ会草創期の模様がよくわかります。

0.jpg















































 
一部掲載する

「予算をともなわず本校に併設されたわが建築科は自己の教室をもたず、製図机・製図版一枚なき建築科であって全く図案科に同居させてもらっていた。それも永い間続いたのである。今年は二階に実習室を、今年は三階に、今年は二階と三階に分れ分れに、今年は教官室は実習室とは、はるかに離れた一隅に、遂に今年は講堂に実習室を移すといったふうに転々漂泊人の如く建築科の本拠が校内のそちらこちらに動いて行った。」
 
 「篠原校長御赴任少し以前廃科問題さへ起つてきた。科長欠員の若い故藪中、斎藤、上辻先生の胸中はどうであったろう。 この建築科を背負う二十三、四才の三青年には余りにも大きな問題であった。つぶれるか、生きるか、に当面した三先生は立ち上った。生徒の父兄を一々訪問して協力を得た。事ならずば、いざさらば工芸;都島工高建築科に生徒を引きつれ移って行く決心をし、内々都島の長尾科長の内諾を得た。悲そうであった。引きつれていったら生徒は食客のように淋しかろうと諸先生は正に暗澹とした気持ちになられた。この間当時の篠原視学、長尾先生の御温情は絶大なものであった。
 今日ここにわが工芸の建築科が存続するのは情熱と気魂の藪中先生、冷静明哲の斎藤先生、黙々誠実の上辻先生のトリオの堅き団結と篠原先生、長尾先生の五恩人のお陰と伝ひたい。」

実際の文章はフェースブックの方を御覧下さい。

今年工芸は創立90周年を迎えることになったが、建築科は1948年の学制改革により、当時の建築工芸科として4・5年生だった学生がそのまま、1・2年生に編入され、その翌年にシグマ会は創設されました。
 創設当時は「紫偶会」と言う字が使用されていましたが、その理由についてはよくわからない、しかし、1949年から紫偶会の会誌が発行されることになったわけです。
シグマ会の第1期生は1950年卒業なのですが、この時点でシグマ会が創立したと思い込んでいたが、実際は一年前の1949年に設立されていた事がわかりました。すなわち来年がシグマ会創立65周年になる事になる。
 現在その会誌は第4号から学校に残っていますが、いったいいつまで発行されたのかも不明です。ただ現存する最後の会誌は20号です。もちろん4号から20号まで全てはそろっていません。ところどころ抜けています。
 この会誌を学校で読んでいると、初期(戦後)には大変先輩達は苦労していると感じつつも、自分たちの意見を会誌で堂々と主張したり、先生との絆の強さを伺い知ることが出来、ついつい熱中して読んでしまいました。
 そんなこともあり、残っている会誌を全て画像コピーとして保存し、後輩の皆さんに読んで頂きたいと思い、今後順次掲載致します
 尚、掲載にあたって、個人情報に接触しそうなものは掲載しないようにいたしますが、掲載された記事で気づいたことがあればお知らせ下さい。また、掲載出来なかった号をお持ちの方がおられたら、お知らせ下さい。
 一端お預かりして画像処理させて頂いた後に必ず返却いたしますので、よろしくお願いいたします。
平成24年度第2回シグマ会・事業委員会議事録抜粋  
          平成25年 2月27日工芸会室 18:30~19:30
出席者;東野忠雄 会長(S37年卒)、出雄隆 副会長(建築デザイン科科長)、
    稲本正吾 会計(S47年卒、教職員)、濱田義之 書記(S53年卒)
    各運営委員長 片岡郎(S63年卒)、小林貴世子(H4年卒)、
           中田雄介(H4年卒)
        
        
1.創立90周年募金について
    2月22日現在の募金総額は、40,8120円となりました。
    前年度の繰越金51,000円はすでに大阪工芸会に寄付済みですが、総会費用・シグマ賞経費などで支出が13万程あります。募金期限まで一月程ですが、記念式典開催まで皆様にお願いを続ける。
    
2.第2回総会について
    平成25年度総会は5月25日(土曜日)として、次回役員会までに議案の作成を行う。
 
3.シグマ賞について
    今回のシグマ賞の審査・表彰等の反省点
    大阪工芸会の会長が参加して頂いているので、卒業式に表彰される大阪工芸会賞とは別の大阪工芸会会長賞を来年度から実施するように検討する。
    今回審査日程が日曜となり、審査時間は十分確保出来たが、審査発表と撤去までの時間が短く、他の方への周知が出来ない。
    今回賞の審査に合わせたのかわからないが、土曜日の時点で未完成が多かった。
    等の反省点があったので、来年度の審査・表彰についてはこの点を考慮し検討する。
    
3.親睦会の開催
    シグマ会会員並びに家族、在校生等を対象にした親睦会的な会の開催を創立記念式典までに実施するよう計画する。
    また、在校生を含めた見学会(古文化・その他)等も今後検討する。
    
    以上について、次回役員会(3月27日)にて再度討議するので、担当委員長は資料を作成すること。
                平成25年2月吉日
シグマ賞審査委員各位
                シグマ会会長 東野 忠雄
     優秀生徒表彰について(お礼)
 
 拝啓、梅花の侯皆様には益々ご清勝のこととお喜び申し上げます。
 平素は、工芸高校生の建築教育活動に格別なるご援助、ご指導を賜り厚くお礼申し上げます。
 さて、この度は、工芸高校展痔に実施しましたシグマ賞審査会および講評会で、ご多忙中にもかかわりませずお世話になり誠にありがとうございました。
 特に、作品審査および講評につきましたは、受賞した生徒はもちろん、他の生徒につきましても丁寧にご講評いただきありがとうございました。
 多くの生徒にとってこのような機会が少ないだけに、この度の表彰・講評は非常に教育効果が高く、本人はもちろん他の生徒も大いに刺激を受け、設計課題に取り組む意欲がますます高められています。教員一同シグマ賞に感謝しております。
 末筆ですが、皆様方の益々のご発展をお祈り申し上げます共に、今後ともよろしくお願い申し上げ、お礼とさせていただきます。
 
 今年度の受賞者名は下記のとおりです。
ΣGold賞(図書券5000円分)3年 船江香穂里
ΣSilver賞(図書券3000円分)3年 藤井春佳 2年 大山壱織 1年 高橋俊光
ΣBronze賞(図書券2000円分)3年 南野真有美 2年 馬渡康平 1年 石井香音

審査委員特別賞(図書券1000円分)
東野賞3年 神納彩実 上杉賞3年 八木奎侑 松本賞3年 福本光里
糟谷賞3年 岡田あゆみ 岡本賞2年 中島広夢 濱田賞 2年 妹尾千咲
片岡賞2年 山下美音 松谷賞2年 山崎裕子 岡室賞2年 川端千景
中田賞1年 黒岩法光 三木賞1年 田邊 優 福嶋賞1年 岡部衿香
中西賞1年 桑野彩香 岡田賞1年 橋台佳奈
 
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